誰にでも人生において「許せない人」が一人や二人いると思います。
あなたが「許せない」と思う人は、そもそもあなたのことを傷つけるようなことをした人ですよね。
そんな人を許す必要などあるのでしょうか?
また、仮にその人のことを許せたならば、人生は何かが変わるのでしょうか?
私のダークサイド(心の闇)をお見せすることで、誰かの人生がほんの少しでもいい方向に進むことを願っています。
Contents
父親が許せない
そもそも私は、物心ついたときから父親のことが嫌いでした。
そして許せませんでした。
恥ずかしい話、まともに父親と会話するようになったのは29歳のとき。
なので今からおよそ10年前になります…
今は父親と一緒にお酒を飲んだり、マッサージをしてあげたり、父親の好きなゴルフの話を聞かせてもらったりしています。
まさかこんな良好な関係になれるとは夢にも思っていませんでした。
父親と母親の出会い
父親は福島県の白河市で生まれ育ち、高校卒業した18歳の年に就職のために上京しました。
「お布団と髪を整えるジェルと歯ブラシ」のみを風呂敷に包み、それを自ら背負って故郷を離れたと言っていました。
「両親ともに見送りは家の玄関までで、駅のホームまでも見送ってくれなかった」と、父親が悲しそうに話していたのを思い出します。
東京では寮で暮らしながら、仕事に打ち込む。
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23歳のときに飲み会で母親と出会い、猛アプローチの末、お付き合いし、半年後には結婚をしたらしいです。
母親は東京都の八王子市出身。
福島と東京、何の接点もない二人がこうやって出会うというのは「ご縁って不思議だなぁ」と常々感じます。
お互い1949年生まれの全くの同学年で同い年。
結婚から3年後には長女が誕生し、そのさらに3年後には長男、つまり私が誕生しました。
なので父親と母親は30歳の頃には、二人の子供を育てていたのですね。
当時はそれが当たり前だった部分もあるかもしれませんが、自分に照らし合わせると「30歳で二人の子育ては凄い!」と感じてしまいます。
私は奥さんと二人でのんびり気ままに暮らしているので…
父親を許せなくなった理由
私たちはごくごく平凡な団地暮らしの4人家族でした。
ただ、私の幼い頃の記憶を思い出すと、とにかく父親が怖い!
家庭内で平和な時間は、父親が帰ってくるまでの3人で過ごす時間。
父親が帰ってくると、我が家はシーンと沈黙になり、ピリピリした空気に包まれます。
父親は無口なのですが、毎晩お酒を飲んでは言動が荒々しくなっていきます。
そして、両親がしょっちゅう喧嘩をしていました。
喧嘩といっても、父親が一方的に怒鳴ったり、物を投げては壊したり…
姉と二人で布団にもぐって、手をつなぎ、喧嘩が終わるのをジッと待っていたこともよくありました。
ただ私も男の子なので、幼稚園の年長くらいからは「お母さんを守らなきゃ」という気持ちが芽生え、両親が喧嘩をしては泣きながら仲裁をしていました。
その度に父親に殴られては、さらに泣く。
幼稚園の頃からそんな感じなので、「父親を絶対に許さない!」という気持ちが日に日に増していきました。
「お母さんはどうしてこの人と結婚をしたんだろう?」と、幼いながらに感じていましたね。
そんなこと、母親には聞けませんでしたが…
母親は「守らなくてはいけない!」
父親は「絶対に許さない!」
これが幼い頃から無意識に出来上がった私の心の構造です。
その心の構造(プログラム)通りに、私は成長していきました。
離婚会議
小学校時代、中学校時代の二度ほど、学校から帰宅すると大好きな母方のおじいちゃんが家にいるときがありました。
将棋やトランプをやって遊んでくれたり、一緒にお風呂に入ったり…
ただ、父親が帰ってくると母親から「部屋に戻っていなさい」と言われて、楽しかった時間が幕を閉じました。
一度目の小学生のときは何も分かっていませんでしたが、二度目の中学生のときにはさすがに、両親とおじいちゃんで「離婚会議」をしていることは理解出来ました。
私と姉は両親が離婚したら「母親を助けなきゃね」といつも話していたので、
「高校に入るのは無理だろうな。中学を卒業したら働くしかないな。でも、別に勉強したくないから高校に行かなくてもいいかな」
と、心の中で思っていました。
なので、いつ両親が離婚しても、心の準備は小学生の頃から出来ていました。
「おまえは、怠けてる」
そして時は流れ・・・
プロフィールにも詳細に書かせていただきましたが、私が20代の半ば、母親がうつ病になってしまいました。
もちろん、私の心の構造は成人になっても全く変わっていません。
母親は「守らなくてはいけない!」
父親は「絶対に許さない!」
当時、姉は結婚して長女を出産したばかりでした。
私は社会人三年目(実家暮らし)で「これからもっと仕事を頑張るぞ!」という時期でした。
父親と母親の関係は、喧嘩をする回数は減っても、相変わらず良くはありません。
ただ、これまで家族のために料理や掃除や家のことを一生懸命やってきたのは事実。
なので病気になって寝てばっかりの母親に、
「今まで頑張ってきたんだから、ちょっとはゆっくり休め!」
と言ってもいいもんじゃないですか!?
しかし、、、
「おまえは、怠けてる!」
という言葉で片付けました。
私はこの「怠けてる」という言葉を聞いたとき、「あぁ、この人は完全に頭がおかしい人なんだな」と思いました。
「血も涙もない人間って本当にいるんだ」と知りました。
恨みの感情が湧き上がってきた
あるとき、仕事から家に帰ると、父親が母親にずっと怒鳴り散らかしていたのです。
慌てて喧嘩を静止しましたが、父親は私をおもいっきり殴ってきました。
もう当時は力では私の方が強かったので、一方的に殴られてもにらんでいるだけで、父親を部屋から力づくで出しました。
震えている母親に理由を尋ねると、「ご飯のタイマーをオンにしていたと思ったらし忘れていた」ということでした。
確かに、父親も疲れて仕事から帰り、お腹が空いていたんでしょう。
その気持ちは分からなくはない。
でも誰にだってミスはあるし、病気の母親に怒鳴っても何も解決しないのに…
そんな「しょうもない理由」で怒鳴っている父親に対し、心の底からフツフツと恨みの感情が湧き上がってきました。
突然の一人暮らし
その数日後、また父親が母親を怒鳴り出したときがありました。
もう抑え込んでいた感情が爆発してしまい、思わず父親の胸ぐらをおもいっきり掴み、
「おまえは、殺されたいのか?」
と、人生で初めて私は人に対してキレてしまいました。
さすがに父親も大人しくなり、その日は何も言わなくなりました。
ただ、そのあと、母親と部屋で話をすると、
「あなたのあんな姿を見る方が私は辛い…」
と号泣されてしまいました。
さすがにそのときは…
「どうして自分の人生はこんな風になってしまったんだろう?」と虚しくなってしまいましたね。
「自分がいま、家にいると父親を殺してしまうかもしれない」と本気で思ってしまったので、私は実家を出て一人暮らしをすることにしました。
次の日には物件を探しに行き、手続きをして父親との喧嘩の三日後には、一人暮らしを始めました。
人生で初めての一人暮らしがそんな形でやってくるとは思っていませんでした。
25歳のときです。
もちろん母親には「週に一度は病院に連れて行くし、いつでも電話で呼び出してくれれば実家に帰るから安心して」と言い残して…
有り難くて心から感謝できるようになる
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引越しの初日は、勢いだけで家を飛び出す形だったので、カーテンを買うのを忘れてしまっていました。
電気をつけると外から丸見えになってしまいます。
そのため夜になると電気をつけられず、真っ暗な部屋の中、ダンボールに囲まれながら、一人で引越し初日は泣きました。
「自分の選択は間違っていたんじゃないか?」と夜な夜な考えては後悔しました。
しかも、私は料理も家のことも何も出来ません。
今までは全て母親がやってくれていたので、電話してはお米の炊き方やら、アイロンの掛け方を教わることとなりました。
当たり前のことって全然当たり前じゃなくて、感謝なんだなと心から感じられるようになりました。
そこから私はコンビニのアルバイトを週に6日するようになり、週に一度は母親を病院に連れて行っていました。
奇跡が起こり救われる
いろいろなことがありましたが…
母親と二人三脚で病気を乗り越えることが出来ました。
奇跡が私の人生にたくさん起こるようになり、自分の人生は救われました。
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母親は元の母親に戻り、私は心理カウンセラーとして出発していくことになりました。
けれども、父親とは音信不通で数年間、顔を合わせることもしていませんでした。
そこがちょっと、自分の中では後ろめたいというか、罪悪感のような気持ちがありました。
そんな気持ちがたまに心の中でうごめいていましたね。
心理学で自分の心と向き合う
一人前のカウンセラーになるために、心理学を勉強していけばいくほど…
とても心が苦しくなっていきました。
なぜなら、「両親との和解」や「心理的な葛藤」「トラウマ」そして「許すこと」・・・
心理学は自分の心の勉強そのものなので、勉強すればするほど
幼少期の父親とのエピソード
を思い出しては胸が苦しくなってしまい、「全く心理的な葛藤が解決出来ていない」ということを思い知らされていました。
心にわだかまりをずっと感じていたのです。
「この心の苦しみから逃れたい!」
そんなことをいつも心の中でより深く考えるようになりました。
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とあるセミナーに参加したときのこと。
そのセミナーは「最も大切なことを最も大切にしよう!」というワークショップでした。
講師の人から
そう言われました。
不思議だったのは、なぜだか私は真っ先に「父親」と書きました。
そして、
ゆっくりとその人と話し合ったり、その物を大切に扱っていますか?
皆さん、自分の大切なものを分かっているはずです。
でも、その大切なものをないがしろにしてしまっていませんか?
もし先ほど書いたものの中で、「大切なものを大切にしていない」ということが1個でもあれば、何よりも先にその問題を勇気を出して解決してください。
時間は有限です。
これをきっかけにあなたは変わらないと、一生、後悔する人生になるかもしれませんよ。
・・・・
・・・・
・・・・
なんだか、私のことをズバリ言い当てられてしまった気持ちになりました。
分かってはいたんです。
分かってはいるんです。
この問題を解決しないと、私は「本当の意味」で幸せにはなれないことを…
でも分かってはいるけど、そこにフタを閉じて、見て見ぬ振りをし続けていました。
でも勇気を出して、この心の問題を解決しなくてはならない。
そのタイミングがいよいよ来てしまったと思いました。
それが29歳のときでした。
父親と会うことを決断する
そのワークショップが終了したらすぐに、母親に電話をしました。
勢いがあるときに行動しないと、明日、明後日では無理だと思ったからです。
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喧嘩をしに帰るわけじゃなくて、お父さんと話がしたいだけだから。
帰るってことをお父さんに伝えておいてね。
今から一時間後には家に着くと思うから。
母親は状況が全く飲み込めていませんでしたが、強引に実家に帰ることにしました。
父親に会うのはおよそ4年ぶりだったと思います。
父親との和解
実家に帰るに近づいて、どんどん緊張して心臓がバクバク鳴り出しました。
勢いで「帰る」なんて言ってしまったけど、後悔していました…
ただ怖いけど、もう、後には引けません。
勇気を出して玄関のチャイムを鳴らすと、不安そうな表情で母親が出てきました。
「大丈夫だから」という言葉を母親にかけて、父親のいるリビングに向かいました。
父親はなぜか怒りの形相で腕を組みながらテレビを見ていました。
恐らく4年ぶりの息子との再会なので、父親も「ただならぬことが起こる」と感じて警戒していたのでしょう。
そのまま父親の前に座りました。
「久しぶり」と伝えると、父親もようやく目を合わせてくれて「あぁ」と答えてくれました。
何を言うかも考えていなかったのですが、私の口から出た言葉は・・・
「ここまで育ててくれてありがとう」
という言葉でした。
その短い言葉を伝える途中から、感極まってしまい、私は涙が止まらなくなってしまいました。
涙も鼻水も止まらなくなり、嗚咽状態になってしまいました。
しばらくして父親のことを見ると…
父親も号泣して嗚咽している姿がそこにはありました。
私は生まれてこのかた、父親が泣いている姿を見たことがありませんでした。
しかも、病気の母親を怒鳴ったり、「怠けている」と言っていたので、「血も涙もない男」だと決めつけていました。
父親が泣いている姿を見たときに、父親も普通の人間であることがわかりました。
そして、今までの「絶対に死んでも許せない!」というわだかまりが一瞬にして心の中で溶けて消えてしまいました。
「父親もいろんな葛藤やわだかまりが心の中にあって、それを抱えたまま生きてきていたんだな」と理解することが出来ました。
気づいたら母親も号泣していて、三人でしばらくの間、号泣していました。
30年かかって課題を克服
どれほどの時間が経ったかは分かりませんが、私は本当にバケツ一杯分ほどの涙と鼻水が出たと思います。
「こんなに体の中の水分が出てしまって大丈夫なのか?」というくらい水分が出ました。
三人の気持ちが落ち着いてから、私は
「どうして家を飛び出したのか?」
「この4年間、どんな気持ちで過ごしてきたのか?」
「今日、どうして家に帰ってきたのか?」
それを一つひとつ伝えていきました。
父親はずっと黙って私の話を聞いてくれていました。
そして、父親が、
「今まで何もおまえの気持ちを分かってあげなくて悪かったな」
と言ってくれました。
その一言を聞けただけで、私は「生まれてきてよかった」と心から思うことが出来ました。
こうして私は幼少の頃からの心理的な葛藤を克服することができ、父親を許すことが出来ました。
勇気を出して一歩行動を起こすだけなのに、この課題を克服するまでおよそ30年もかかってしまいました。
鏡の法則
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そこから気軽に父親と話すことができるようになりました。
「私も愛されていたんだ!父親はうまく愛情を表現出来なかっただけだったんだ!」
そう、分かったからです。
一緒にお酒を飲みに行ったり、家族で温泉に行ったりする機会がそこからどんどん増えていきました。
いろいろ話をすると、父親はとても「いい人」だということも分かってきました(笑)
私が幼い頃から「敵」と認識していたので、父親も鏡となり「敵」になってしまっていたのです。
自分の心理は相手に現れますからね。
自分が「好き」という気持ちで接し、笑顔ならば、相手の人も「笑顔」ですよね。
でもこちらが「嫌い」でにらんでいたら、相手の人もこちらをにらんできます。
まさに鏡の法則です。
父親を「いい人」と認識するようになってからは、本当に父親は「いい人」に変わりました。
いや、元々、「いい人」だったんです。
私のフィルターが間違っていたんですね。
父親と和解してからというもの、毎日がキラキラと輝き出しました。
今までと同じ世界を生きているのに、全く違う世界を生きているほど幸せになっていきました。
不思議と私のカウンセリングの仕事も順調になっていきました!
許すということ
許せない人を許すことにより、心にグルグル巻きにされていた鎖がちぎれて、とっても心が軽くなりラクになります。
これが許しの効果です。
私は体感したことをお伝えしているので、この感覚は間違いないです。
ただ、許せない人を許すという行為は、世の中で一番勇気が必要なことかもしれません。
![](https://i0.wp.com/masato63.net/wp-content/uploads/2018/05/parachute-713653_640.jpg?resize=300%2C225&ssl=1)
スカイダイビングやバンジージャンプよりも、「父親を目の前にして話す」行為の方が私には怖かったです。
この記事を読んでくれている人の中で私と同じように父親か母親を許せない人もいるかもしれません。
そしてあいにく既にお亡くなりになっていることもあるでしょう。
でもそんなときは「心の中で和解する」という心理的和解でも同じような効果があります。
さらにさらに・・・
今まであなたのことを「苦しめてきた人間を許すことなんて出来ない」という人も間違いなくいると思います。
それはそれで大丈夫です。
そんなときは、
「◯◯を許せない自分を許します!」
と、つぶやくようにしてみてくださいね。
これは日本一の事業家である斎藤一人さんが教えてくれていることです。
「許す」というのは自分の心を「ゆるませる」というのが語源です。
「相手を許す」のでは本来ないようです。
「自分の心を緩ませる」のです。
自分の心をユルユルと緩ませることが出来ると、気持ちがどんどん軽くなりラクになり、人生が良い方向に進むようになっていきます。
だから…
その人のことは許さなくてもいい。
その人のことを許せない自分を許してあげる。
そんな感じで、気軽に「許すこと」について取り組んでいただければと思います。
ただし、それを続けていき、「タイミングだなぁ」と感じるときがきたら…
かつての私のように、実際にその相手を「許す」ことを勇気を出してやってみてください。
何より怖い行為だと思います。
だけどそれを乗り越えたら、もうそれ以上の恐怖は起こりませんから(笑)
相手に過剰な期待はしない
私自身のダークサイド(心の闇)を思いっきり書かせていただきました。
もしかすると、この記事を読んでいる人が過去の私のような心の葛藤を抱えていると「モヤモヤ」したり、気分が悪くなってしまうかもしれません。
そうだとしたら、本当にごめんなさい。
ただし、逆にそうだとしたら…
私がセミナーで感じたように、あなたもその「タイミング」がきたのかもしれないです。
恥ずかしかったり怖かったりしたら、「手紙」を書いて出すというのでも大丈夫です。
もちろん直接、会いに行けるならば会いに行ってみてください。
しかし、「手紙」にしろ、「口頭で伝える」にしろ、
相手の人に過剰な期待はしないでくださいね!
もしかすると「何をいまさら!もう遅いんだよ!」などと言われることもあるかもしれません。
何らかの期待や見返りを求めるのはやめましょうね!
私のクライアント様で両親と確執があり、でも既にご両親はお亡くなりになっている方がいました。
この話をお伝えして、その人は勇気を出して墓前に手を合わせに行きました。
お墓の前でお父さん、お母さんと心で対話していたら、涙がとめどなく溢れてきて、涙が出切った後には、両親へのわだかまりが消えていたそうです。
なので、相手の方がお亡くなりになっていても、「許しの効果」は実証済みです。
この記事を読んでピンときた方はぜひアクションを起こしてもらえればと思っています。
まぁ、アクションを起こせなくても自分を責めたりはしないでくださいね(笑)
誰かの何かの役に立てばと願いながら心を込めて記事を書かせていただきました。
最後までお読みいただいた方は本当にありがとうございました!
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どうもこんにちは!
サイト管理人の心理カウンセラーmasaです。
私は母親の病気の介護をきっかけとして
自分の人生を見つめざるを得なくなり、
もがき苦しむ中で、心理カウンセラーになりました。
30歳前後まで、私の人生は
どん底、かつ、ボロボロの人生でした…
あるきっかけがあり
自分の「生きる意味」に気づいてからは
ここ10年で2000冊以上の自己啓発書を読み、
現場にて7100人以上の人との対話をさせていただいてます。
自分の苦しかった時期、そしてクライアント様と話していると
「もっと知識があればそんなに苦しまなくてすむのに・・・」
ということを今まで何度も感じてきています。
知識は力です。
無知はコストです。
考え方や捉え方(解釈)を学ぶことで
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私がこれまで培ってきた知識や経験、知恵を
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